わたしたちの南大東村3年4年合冊版
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か察後初有権望開ごふ球政府等弁務官む ■ウ キャラウェイ高等弁務官の銅どう像ぞう●↑ ●↑ ●↑ ■オ 土地の所有権がみとめられたお祝いパレード ■エ キャラウェイ弁務官へうったえる島の人々しょゆうけんようぼうさつけいせんはつてんかいつづこうとうべんかんりゅうきゅうせい191うたこさんたちは,南大東村になったわったの後,人々の生活がどのように変かを,役場の人にたずねてみました。南大東村となった島では,これまで製糖会社のものだったしなどが公共のしせつへと変わりました。戦争で使えなくなった製糖の機械も何とかしゅう理し,1947年には,戦の製糖が始まりました。しかし,土地の所は製糖会社のままでしたので,土地はいぜんとして製糖会社のものでした。そのため農民は,土地の所有権をうつしてほしいと要せつ,学校や病院,警人々は土地の所有権をうつしてもらうために,琉する運動を展します。やアけました。1964(昭和39)年,メリカ政府にもうったえ続アメリカ軍のキャラウェイ高が,「土地所有権は農民にある」との決定をくだしました。これによって,土地の所有権が農民の手にうつされることになりました。南大東村となってから,18年後のことです。村役場の係の人の話

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